WISC検査の必要性とは?

ムスコは、現在小学4年生で特別支援学級の情緒クラスに在籍している。

自閉症スペクトラム、ADHD、ASD、LSDと何個も障がいが重なっており、中でもコミュニケーションに難しさを感じている。

知的障がいはなく、WISCⅣの検査は、山、谷、山、谷になっている。

その差が激しければ激しいほど、出来ることは人並み以上に出来、出来ないことは人並み以下ほどにも出来ない。

だから、発達障がいの人は生きにくいと言われるのだ。

出来ないことは、努力して出来るのでなく、努力しても出来ない。

その出来ないことを出来るようにするよりも、出来ることを伸ばしてやりたいと私たち親は、考えている。

だが、学校側はそうではないようで、先日の関係者会議の場で、1年生の時に受けたWISCⅣの検査をもう一度受けるように言われた。

その必要性に疑問を感じ、本人が納得しないと受けられないこと。

私も必要性を感じないので病院の医師に是非を問うてみること。

学校側は、得意なこと、不得意なことが変わっているかもしれず、薬の量が適正かどうか分からない。というニュアンスだった。

だが、WISCⅣをどういう風に捉えているのか、疑問だがあの検査で薬の量が決まる訳ではない。

ムスコは、注意欠陥多動性障害があり、忘れ物、不注意が多いので集団行動をする学校では投薬をしているが、その量に対して多いとか少ないとか学校側が言うべき問題ではないと思う。

今日、病院の担当医に学校側の話を伝えた。

病院の先生も首をかしげ、今、WISCの検査をしてもあんまり意味がないと。

これが小学6年生で中学に上がるために、支援学級に行くのか普通学級に行くのか、そういう段階でするなら分かるが、今のところは検査をしても大した変化は見られない。

苦手なことが急に得意になる訳はなく、それをしたからと言って薬の量の目安にはならない。

「学校側は何を知りたいのか、分からないね~」

ムスコは、今日は薬も飲んでいない。

でも、先生に自分の苦手なことを話していた。

自分は、物語文で「主人公がこの時、どういう風に感じたか、想像してみましょう」のような問題は、分からない。とはっきり答えていた。

相手の気持ちになって考えよう。

想像してみよう。

これがムスコには全然分からない。

今は、この「分からない」ことが分かっているからトラブルも少なくなったが、彼が小さい頃はここを親として理解してなかったので、怒らなくてもいい場面でしょっちゅう怒り、理解しないムスコに手をあげたりもしていた。

この「分からない」ことは分からないから、一つ一つ学習していくしかなく、それがスキルを磨くということなのだ。

ムスコは、お年玉をもらったら、欲しいものがあると言う。

ゲームのソフトかと思いきや、カードゲームが欲しいと言うのだ。

「デュエルマスターズのカードゲームのカードが欲しい。」

今までコロコロコミックのおまけについていても、興味がないからゴミになっていたやん・・・・

今、友達がみんな、カードゲームをしているそうだ。

だから、自分もそれが欲しいのだと。

ムスコは、彼なりに成長している。

今年は出来ないことばかりを言われたけれど、ムスコは、色々な経験を重ね、色々なことにチャレンジしている。