価値の話

お客さまとお話していて、

会話の中で変なズレを認識することがあります。

「〇〇の価値がある」

という言葉に違和感を感じるのです。

「〇〇万円の勝ちのある土地だから」

その価値って誰が決めたんですか?

実はこのセリフ、

「〇〇万円の価値があると自分で信じている土地」

なんです。

「でも固定資産税という国が保証する価値があるだろうが!」

保証してません。

固定資産税評価額というのは、

国が税金を取るために決めた基準であって、

「その値段で売り買いしなさい」

という指導でも保証でもありません。

固定資産税が下がると税金が減ります。

ですから国は固定資産税評価を下げたくありません。

ただし、

固定資産税を上げすぎて住宅の購入が止まってしまうと、

違う意味での税収が減るため、

「ほどほど」

の評価を出しているに過ぎません。

「不動産鑑定士に鑑定させればいいだろう!」

鑑定士の先生に、

「先生の出された鑑定価格で不動産を売ってください」

とお願いすると拒否されます。

まず売れませんから。

鑑定価格は売値じゃありません。

実は不動産鑑定士の出す鑑定価格は、

裁判ぐらいしか使えないんです。

ここで勘のいい方はお気づきになられるのですが、

価値というのは、

「売れるものかそうでないか」

の意味しかないんです。

売れるものかそうでないかの中に、

「高く売れそう、安くしか売れない」

あるいは、

「売ると経費倒れする」

があるんです。

で、

「売ってみなくちゃわからない」

が本当のところで、

売れれば売却価格ですし、

売れなければ、値下げするだけなんです。

これ銀行に話をすればわかります。

銀行にもよるんですが基本は、

「この土地500万円で買ったんですが、

1000万円の価値があるんです」

「ウチ(銀行)はあくまで、

取引された価格でしか担保評価しません」

これは実際に、

「売るとしたら500万でしか売れないんでしょ?」

という意味です。

つまり、

「1000万という価値は、

あなたが信じている値段で、

実際は500万円でしかないでしょ?」

ということになります。

遊戯王のカードは、

ネットオークション等を見ると、

100万円以上するものもあるようです。

しかし自分は興味ないので、

もしそのカードを持っていてもダダの紙切れに過ぎないんです。

つまり自分にとっては無価値。

東京に住んでいる人にとって行橋の土地など無価値です。

1千万だと言われようが10万だと言われようが、

「ほーそうですか」

にしかなりません。

「価値」

これよく使う言葉なんですが、

この言葉、

陽炎のような言葉なんです。

「実態も意味もない」

このことを正確に理解している人は少ないです。