日本人は侍じゃあありませんよ

SAMURAI BLUEというとサッカー日本代表のことですが、

カッコいいですよね。

でも、日本代表のメンバーの23人の中に、

本当の侍の子孫はどれぐらいいるのでしょう?

明治時代に「壬申戸籍」というものがありまして、

そこで士族の調査がなされているのです。

実際には侍は、士族と卒族がいたようで、

その合計がほぼ6パーセント程度なのです。

つまり、サッカー日本代表のメンバーで、

侍の子孫は多く見ても2人しかいません。

つまり、

「HYAKUSHOU BLUE」(百姓ブルー)

が正しいのです。

ところが日本人自身、よほどに侍に憧れがあるのか、

「やめて責任をとれ」

ならまだしも

「死んで責任をとれ」

というのは、侍の勝手な理論なので、

百姓には関係ありません。

 

 

黒澤明の有名な映画「七人の侍」でも、

しぶとく生きる百姓の姿が描かれています。

百姓はしぶといのです。

百姓なので死んで責任を取る文化など元々ありません。

ところが現在の日本は世界一の自殺大国です。

なぜこんなことになったのでしょうか?

明治維新の時、

公務員や教師などはほとんどの場合士族が採用されました。

さらに日本帝国軍も幹部はすべて貴族か士族でした。

そのため、日本の教育のほとんどが、

「武士として潔く」

となってしまい。

日本人のほとんどが、自分自身を侍と勘違いしてしまいました。

そこで、

「失敗は死をもって」

となるわけなのですが、侍ではないのにおかしいと思いませんか?

ちなみに私の祖先は福島正則の家臣でしたので、

侍ではあるのですが、福島家が改易になった後、

広島で商人になったため、侍の身分のまま商人の家系になりました。

江戸時代の家系図を見ても全く商人なのですが、

名字帯刀していたようです。

そこでも明治維新の時も士族となりしたが、

商人なので、「失敗は死をもって」などと考えることはありません。

商人ですから、「七転び八起き」という発想しか持てないのです。

ADHDですから、教師との折り合いも悪く、

普通に教育を受けていませんが、

これも家系のようであまりいい学校に行ったものも多くありません。

ですから我が家には根本的に、

「失敗は死をもって」

という発想をするものがなく、200年以上自殺者が出ておりません。

私は人生を何度か失敗していますが、

自殺を考えるところまで行くのですが、

実行に移すことはありません。

侍でもないのに侍のように生きるなど馬鹿らしいことです。