昔は寒くなかったのか?夏住宅の意味を考えてみよう!

日本の伝統家屋は、「夏住宅」です。

日本の住まいは夏の暮らしを中心としていて、

冬のことを考えていません。

建具一つとってもそうです。

ガラスはないので、

雨戸と障子一枚で冬を過ごしていました。

障子以前は、

なんとすだれです。

畳は奈良時代に登場しました。

この当時の畳と呼ばれるものは、

今の畳と違い、

「真薦」(マコモ)

というイネ科の植物で編まれたものでした。

ござのような状態で一枚だけ敷いていたようです。

身分の高い人は、

この時代はベッドで寝ていました。

ベッドと言っても現代のものではなく、

ただの台なんですが、

日本にもベッド文化はありました。

やがて現代のような畳に進化するに連れ、

「八重畳」(やえだたみ)「重畳」(かさねだだみ)

といって、

畳を重ねて敷布団のように使うようになりました。

庶民はどうやって寝ていたのか?

わらに潜って寝てました。

これ江戸時代でも結構やっていて、

明治維新以後、

綿の布団が庶民にも買えるようになって初めて、

布団で寝るようになったのです。

ちなみに、

庶民の家に畳が登場するのは、

江戸時代中期です。

ということは…、

時代劇のドラマのシーンの殆どは嘘ということになります。

「こちとらせんべい布団一枚こっきりしかねえんだ!」

布団1枚500万円ぐらいするんですけど…。

せんべい布団一枚は、下手をすると家が買える値段なのです。

当然長屋の住民に買えるものではありません。

ちなみにこの頃の一般的な布団というのは、

「かいまき」

です。

「夜着」(よぎ)とも呼ばれ、

浴衣もこの仲間で、

寝るときに着る着物ですが、

これも高級品で、

もっと一般的なのは、

「天徳寺」(てんとくじ)

これは紙(和紙)でできた布団の代わりになるもので、

庶民は紙一枚を着て寝ていました。

つまりこの時代長屋では、

板の間に筵を引き紙の布団で寝るのが普通で、

時代劇のシーンとは全く違います。

この時代は、

「家をたてるのは川のそばが良い」

と言われ、

これは江戸のような都市でも川沿いは、

涼しいということから来ています。

軒の深さも太陽の光の調節のためであり、

障子と雨戸しかない構造は通気性のためであり、

町中では通気性が確保できないので

「通り庭」「坪庭」

という工夫がされ、

とにかく通気性を重要視していました。

「夏涼しい家」=「冬寒い家」

というのは当たり前なのですが、

上に書いたように、

日本人には冬の備えが殆どないのに気がつくと思います。

田舎とか、大きな家とかは、

「囲炉裏」

で暖を取ったのだと思いますが、

長屋は構造上囲炉裏はありません。

かまどですら共同ですので庶民の家には火鉢しかありません。

こたつは「やぐらこたつ」と言って、

火鉢にやぐらをかぶせて布をかけたものです。

これは庶民の家にもかなり普及していたようです。

しかし、窓は障子と雨戸だけですので相当に寒いはずです。

とにかく日本の住文化は、

「夏の暑さを防ぐ」

それのみに特化されているんです。

そこで考えるのは、

「冬は今より寒くなかったのかな?」

ということです。

昔と今の気温を比べると今のほうが気温は高いので、

おそらく冬も今より寒かったはずです。

「我慢強かったんだよ」

それは違うと思います。

人間は我慢出来ないことを改良して今の文明を築いたので、

我慢出来ないことは改良したはずです。

何時代~何時代、

というのは簡単なんですが、

数百年あります。

日本は明治維新後150年でここまでの文明を築きました。

その次代その次代の人々が何も工夫しなかったと思えず、

そう考えると、

日本には、

防寒着という定義のものもあまり種類が多くないのです。

なんとも不思議です。

この疑問の答えをお知りの方がいらっしゃれば、

いつかお教えください。

お待ちしております。