あなた!死ぬんですよ!!

「あなた!死ぬんですよ!!」

ある相続セミナーの講師のセリフです。

これについてふと思うことがあるので、

今日はこのテーマについて書きたいと思います。

人はいつか死にます。

ただし相続は、

これから亡くなる方には関係ないんです。

「えっ?」

困るのは遺族であり、

亡くなる本人には全く関係ないんです。

だって死ぬんですもん。

この場合、

死後の世界があるとかないとかそういうことではなく、

単純に死んだ後の財産がどうなろうと、

「知ったことではない」

のです。

遺言とは、

あくまで遺族に対する「思いやり」に過ぎないのです。

ここが重要で、

何年も他の県にいて帰ってこない子孫が、

相続だけ権利を主張する。

法的には有効ですが、

親が介護状態になっても家に寄り付かない子供の、

幸せを願って遺書を作成する意味があると思いますか?

「困るんだけど」

これは遺族の問題であって、

亡くなる方は何も困らないのです。

それを臨終の際病院で、

御本人は、瀕死の状態で苦しんでいるのに、

「お父さんしっかりして、遺書は?遺産はどうなっているの?」

なんか他に言うことはないのですか?

という感じで、

なんともたまらない光景がまかり通ります。

これはお通夜、葬儀の際にも発生する光景です。

非常に語呂合わせが面白いんですが、

相続=争族

葬儀=争議

ということで、偶然なのか違うのか?

逆に言うと自分がこれから亡くなる場面で、

体をガンガン揺すられて、

「〇〇の土地は、私にちょうだいね」

知らんがな。

そうなりませんか?

実は相続対策というのは、

それぐらい本人にとって失礼なことなのです。

「相続対策は遺族に対する思いやりに過ぎない」

ということをわかってない人が多いと思います。

特に相続セミナーなどをやる人も

全くわかっていないのはかなり問題です。

…なのですが、

この問題、相続人だけではなく、

国も困っているのでなんとかしようとして、

どうにもならない状態が続いているのです。

「あとに残されたやつのことなど知るか!」

これ、

非常に悪い親のように思われるかもしれませんが、

憲法における財産権の当然の権利なのです。

日本の法律はすべて「性善説」によるものなので、

「人は善である」

という概念から始まるため、

「死にあたっては遺族を思うのは当然である」

と考えるのですが、

「家族を思いやる気持ちがない親」

「親を思いやる気持ちがない子供」

の場合、どうにもなりません。

つまり、

相続対策をきちんとしてくれる親は、

ものすごく立派だということです。

それなのに、

子供は遺書を巡って裁判をする。

なんだか理不尽な話ですよね。